歴史学のオーラルヒストリーで問題になること
従軍経験者が自分の体験をぼやかしたりすることがある。それについて、歴史家や保坂正康のような人は裏どりをして細心の注意をはらう。
桜井厚の本では、特攻隊に選ばれながらも飛び立たなかったのはなぜか聞いても話が藪の中だった事、遠慮がちな爺さんが、その先生の学生達のみが来たときは、大東亜戦争肯定論(というか''自由主義史観’’という小林よしのりや「つくる会」の考え自由主義史観 - Wikipedia)をたっぷりと熱く語り、去り際に「先生はこういう見方を好まないでしょうが」という言葉を添えた話が載っている。自分の経験した事を、人に語るとき人は大枠として道徳やどうみられるか勘定する。
今でも、"一般兵士たちに、「おまえたちが体験したことは銃後の国民に語ってはならない」という暗黙の強要が、とくに戦友会を通じて行われていたといってもよかった" - Togetterまとめ。
「戦後70年経った現在、戦争の体験者は幼少時代のことだから、その証言は信用できない」 - Togetterまとめ。タブにオーラルヒストリーとありますね。
私は上の記事で戦友会が、圧力になった部分もあると知った。保坂氏は、彼らが過去の悲惨な記憶を子や孫には話せず、唯一、戦友会の会合が話す場であったことを本では書いていた。
今の、福島及び東日本大震災で起きたことを、語るときも記憶違いや、新聞で読んだことをその時の自分のものの見方にしたりすることがあるとtwitterでもあった。
戦争中、女・子どもの体験もそう。右派が従軍慰安婦の人の語りの一部が間違っていたとして全否定したりすることがある。子どもなら、少年Hが出版された時の右派による論争のふっかけがあったこと。児童文学のひこ・田中は、妹尾が後から考えた視点が入っているとした。
児童文学書評(その発言をひこ田中webサイトで発見できなかった。ここではなくブログで書いていた。)
https://www.amazon.co.jp/少年H-上-講談社文庫-妹尾-河童/product-reviews/4062645904