話す人をいったんうけとめてあげる、それが岸政彦の「対話的構築主義批判」だけれども

奈良で見知らぬ人に「あなたお若いのにたくさん本をよんでらっしゃるのねぇ。the new koreaって本とってもいいわよぉ。日本がいかに韓国の経済や文明の向上に力をつくしてあげたかがのっているのぉ。日本を旅した外国の文化人類学者が韓国と日本を分析して、日本が韓国に高等教育を施したり、インフラ整備をしてあげたことを評価しているのぉ。この本で日本をすごくほめていてね、その中でもねぇ面白いのはねぇ、日本は美人が多かったんですってぇ。」とニコニコ語られたことがあった。私はそれを「そうなんですねぇ(^^)」いったん受け止めて、返事をしないでスルーした。

 当時の植民地政策の分析の本で現在は相手にされない本ですとは言わなかった。信仰ですね。貴方そのロジックで行くと、沖縄のアメリカ占領時代は善いことだになりますよ。沖縄の琉球大はアメリカの統治の中で作られた。官僚養成学校。それくらいする。道路ももちろんつくった。それは言わないで私は黙った。いったん受け止めてあげる。語りを聞くってそういうこと。岸政彦先生の対話的構築主義批判の論旨とは少し違いますが、「鉤括弧を外して」「大部分において真」であることを前提とする。言いたいことはこれかと思いました。

 これについて、心理学のカウンセリングで困っている人相手の商売の方がどうしたらいいか、どう取り扱うか詳しくやっている。例えば最近話題となった、こわれた父の精神安定のため、家族全員で長女を虐待しているのにその自覚がない場合のケース。プロはどうするのか。人が語ることにせまること、それは心理学の方が先に進んでいると思います。私はこのマンガ怖いから読んでない。実話だと思っている。この家の母から長女への祝福の言葉の怖さよ。

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