保坂正康著『安倍首相の「歴史観」を問う』メモ
保坂正康著 講談社 2015年7月28日
p7 「昭和10年代の軍人の議会答弁、あるいは政策説明を議事録で確かめてみて三つの特徴があることに気付いた。
1 具体的に説明するのに大体は形容句を用いる。「皇国2600年、買って負けたことのない皇軍は……」「在留邦人の安全と生命を守るのが軍人の役目」「御御心を体して」などの語を乱発してまともに相手の質問に答えない。
2 まともな立論がなされないので、その説明は5分ともたない。東条英機が首相、陸相として答弁に立ち、「戦争が終わったとき」とはどういうときか、と戦時限立法について尋ねられると法律上の答弁をしなければならないのに「平和が回復したとき」と答えた。典型的な例。
3 軍人は軍事学しか身に着けていない。トップに立った時、社会・人文科学を身に着けていないから、軍事学に引き寄せてなんでも質問・答弁されたら答える。
この「形容句」「立論不足」「耳学問」の軍人たちによって理念なき戦争を進んだ。
米国のメディアが良く取材に来る「安倍首相の靖国参拝を国務省が強く批判した。どう思いますか?」私がアメリカのリベラル派が批判しているのでしょうと言うと全米有力紙の記者が「違います。共和党上院の保守派が日本批判しているんだ」というんです。
共和党上院の保守派とは典型的な反共主義であり、アメリカ中心主義であり、
戦後の世界史はWW2で連合国が勝利したという図式の上に成り立っていると考える。
そういう人たちが安倍首相の発言はどういうわけだと激昂している。
アメリカによる日本の意見の受け止め方が変わった。
安倍首相は靖国に行く理由に「アメリカのアーリントン墓地と一緒です」と発言して
アメリカ政府高官の怒りを買いました。
陸海空にも常識のある軍人は少なからず存在したが、声の大きい人・正論を言いつのる人そういう人が上にたつ組織であった。
昭和の歴史を調べていると、権力と言うのは常に不安定なんですね。治安維持法で共産主義者を捕まえるわけですけど、共産主義者がいなくなると自由主義者を狙う。自由主義者がいなくなると宗教家。宗教家がいなくなると今度は右翼です。思想右翼というか神道右翼というか、そういう人たちを弾圧立法の対象にします。
安倍内閣は2013年4月28日日本が独立を回復した日として、独立式典を行った。
この式典の本質は何なのか。
彼らは、戦争には「戦闘」と「政治」の両面があるとの考えがあり、大日本帝国は
「昭和20年8月15日」に「戦闘」で敗れたが「政治」で負けたという事にはならない
との主張をしている。
そして「政治」で敗れたのは、昭和27年(1952)年4月28日と言う理解。
サンフランシスコ講和条約発効の日に、日本は「政治」での太平洋戦争に決着を
つけたことになる、との主張らしい。
この考え方は(1945年8月から52年4月までの)占領期の6年八か月を太平洋戦争の「政治の戦争」と見るそうだ。東京裁判で絞首刑になった7人のA級戦犯は「政治の戦争」による「戦史」と解釈しているらしい。昭和53(1978)年にひそかにA級戦犯を合祀した靖国の宮司の松平永芳はこうした歴史観によっている。これは右派論壇やメディアにもある珍しいものではない。
しかしこの史観なら戦後民主主義や・吉田茂元首相は占領行政、アメの傀儡政権であり
昭和天皇は戦勝国に屈服した天皇であり、松平理論では糾弾される立場になるのではないか。安倍首相にそこまで理解できているとは思えないが。
安倍首相は河野談話・村山談話に不満を示している。平時の法体系から、軍事を軸にする
法体系に、国民の意識を移行させようとしている。
(1)戦後民主主義の時代は終わりつつある
(2)国民意識の変化が企図されている
(3)政治的論戦の内容が著しく劣化した
自立する市民か、隷属する国民か
「ワンルーム下の平穏主義」ともいうべき現状肯定の意識があるのではないか。
「公」より「私」を優先させるということにもなる。
国民の意識の中では、日常生活の矛盾や亀裂に目を向けてその改善に努めるよりは、
そこから逃げてしまうことが多いのではないか。面倒なことを避けるという風潮である
自らが納得する生活目標がない「私」のために「公」がそれを与えるという気運さえ
あるようで、その点が不安なのである。
人は自らの体験を語るとき、事実を語るか否かの比率は「一対一対八」だと理解した。初めの一は正直な人で、自らの体験を語るのに実際にそのときの感情とのちに理解したり、考えたことをきちんと整理して誠実に話すタイプ。
次の一は、初めから虚言を弄するタイプで、特攻隊員だと装ったり、従軍した戦地をごまかしたり、尋ねる側の知識に応じて作り話を語ったりする。
残りの八は、われわれそのもの。記憶を美化したり、ゆがめたり、
都合の悪いことは忘却したりするがそれは生きていくための知恵である。
したがって歴史的証言を求める時も、この人物は自らの体験と言うコアの部分にどういうものを堆積させているのか、それをいかにのぞいて史実に出会うか、そのことは話を聞く側の能力と知識にゆだねられていると実感した。
まったく虚偽の事実を垂れ流しているタイプの証言などに私たちはもっと敏感になっていい。偽りの証言を排除する勇気を持つべきであろう。
戦時下で首相・陸相を務めた東條英機は生粋の軍人で、軍事以外の知識(政治・経済文化など)はほとんど持っていない。その東條が昭和18年、19年にしばしば、「戦争というのは負けたと思ったときが負け、決して負けたと思うな」との精神論を呼びかけた。
高校野球の監督が選手に説くならわからないでもないが、戦時下の最高責任者がこんな無責任な論を吐いていいだろうか。
國民會舘叢37書杉原誠四郎「日本外交の無能と戦争責任―日本外交を国民の手に取り戻せ―」
発行者社団法人國民會舘
代表者武藤治太
編集人松田尚士
平成13年
杉原と市村真一を読んだ。市村は支離滅裂。今のtwitter言葉で言えば何でも知ってるおじさん。奈良の図書館にある右派的冊子達。いったいこれは。
ロナルド・ドーア著 藤原書店2014年11月30日発行より
『思想の科学』の創刊の言葉が載っていたのでメモ
「本会の趣旨」というような文章から「我々は一般人の哲学の研究を試みたのは一種の自己改造のつもりであった。一般人の日常の思想との折衝において、われわれ自身を刷新しようとしている」
「哲学では、論理経験主義に徹し、社会科学において、経験的、科学的接近の開発に努め、学問の過度な特化に抗して、なるべく人生の問題に対する総合的な
視野を培う」