バーリンはアレントを嫌った

アレントは知識人としてデビューする。アメリカでもてはやされる。アイヒマン(愛肥満て出た)を、人間と労働を、全体主義を論じて。

アイザイアバーリンは否定的だった。

 私の本日の陰謀論(笑)。アメリカの財政界は初期のナチスを認めた。ユダヤ嫌いと共産党社会主義の対抗勢力だとして。それを糊塗するために戦後アレントを持ち上げた。アイヒマンみたいなやつが悪いんやと。バーリンは薄々そういう論調にもっていく風潮を知っていた。彼の政治的立ち位置、イギリス人だが本当はユダヤ系である事、戦争時知りえた情報から。でもそれを言うと自分が知識人としてパージされる。だからアレントは大したことは言っていないと言うだけにとどめた。ネット上にある論文を読んでいて、最近似た発言をTwitter論争で見たなぁと思った。

アレント「なんでユダヤ人は蜂起しなかったの?」

 (追記)濱真一郎バーリンのユダヤ性(マルクスの中のユダヤ的なものを書いたバーリンのユダヤ的な部分をみつめている)32ページ分の19ページアイザイア・バーリンがハンナアーレントを避けた理由。

https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/16681/028003470015.pdf

 

私が選ぶ週刊文春最凶の見出し

私は週刊新潮に「今年の候補者はゆとり金髪しばき隊」と書くのではないかと書いたがその元ネタはある。それが新潮だと思っていた。確認すると文春であった。さすが鋭さえげつなさでは新潮の上を行く。98年日経新聞縮小版p945より。私は名前を伏字にしようと思った。えげつなくないですか。国民的英雄にここまで言う。

「スケート鈴木、モーグル里谷、ジャンプ舩木 

長野五輪 金メダルの条件は 「茶髪・眉ゾリ・父親なし」」

98年2月19日(木)2月26日号290¥

週刊文春

 

同時期の週刊新潮の見出しではこれが一番。

「日本の危機第一回 誰も止められない国民医療費の巨大化 櫻井よしこ

2月26日号290¥

この1998年から、始まっていたのである。

 

 

サイード「知識人とはなにか」

 私はグラムシは読んでないから、サイードについて感想を書く。サイードの「いつも失敗する神々」という言葉、例えに神を使う事と一神教の人びとの前で神を軽々しく口にして神々と複数形にすること、わかりづらいおかしさがあった。神サマ信じてへん。

 この本の中で挙げられている小説をメモする。読んだらサイードの発言により近づくことができる。フロベールの「感情教育」(英題はSentimental Educationでなんとなく日本語から感じるイメージと違うなと思ったので書く )、ジョイスの「若き日の芸術家の肖像」ツルゲーネフの「父と子」。「父と子」のアイザイアバーリン本よりシリーズ《この人に会いたかった》 第4巻 バーリンという名の思想史家がいた──「ひとりの人」を通して「世の中」へ|編集グループ〈SURE〉が噛み砕いてあって薄くて易しいので推す。

 藤田孝典のtwitterを引用する。

彼は、有機的知識人を肯定的な意味で捉えている。それでこの文章に深みが出ている。

はてなブックマーク - 藤田孝典さんのツイート: "左翼やリベラルは、貧困問題を政治利用しないでほしい。「貧困を解消するために政治に働きかけるのではなく、政治を変えるために貧困問題を利用する」という はてぶでは2016/12/17に注目されていた。早い。

 

龍谷大の岸政彦先生に手紙を書いた話

芥川賞発表前日の1月18日に龍谷大のemailアドレスに送信。

 

こんにちは

ご無沙汰しております

いちょうカレッジ受講生の(本名)です。

このたび岸先生が芥川賞候補

選ばれました事、誠におめでとうございます。

私達にとりましてもおおいに名誉なことであり、等しく喜びとするところです。

 明日東京にご出張ください。編集者と一緒に銀座で伝説のマダムがいた文壇バーで、受賞の知らせを待つ…。ついでに出版業界を見てください。

本能寺ホテルの原作者がなぜwebで訴えねばならないのか?

「考える人」で「沖縄での土人発言」について岸先生が原稿を、目取真俊、又吉栄喜、大城立裕、東峰夫又吉直樹にかわって書くことの意義は?

京都アバンティの本屋で、平積みされている現代思想最新号のななめに「さよならパヨク」が置かれている時代。沖縄ノート裁判に稲田朋美(現防衛大臣)が原告側弁護士で出てくる時代の出版社の状況は?

(私のつまらない妄想ですが共謀罪成立のために、排外主義団体が、共謀罪やむなしの世論を作るるために使われると思います。)

 先生のこのたびの芥川賞候補は先生を知る私たち生徒にとって、いわば当然の事といえるでしょう!

 明日、東京で新潮の編集者と受賞の喜びを分ちあうために、東京にご出張ください!先生は質問をすることができます!

 彼のご友人の方々ー特に解放同盟の専従職員や在日の人達ーが、このページを見ることを願います。

上間陽子裸足で逃げるのAmazon感想文

 

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち (at叢書)

 

 カウンセラーやソーシャルワーカーなら知り得た事実をペラペラしゃべらない。墓場までもっていく。

 

藤田孝典のtwitterでのリベラル批判発言

 

藤田孝典はこの発言で批判を受け、こう答えました。

 

2月5日は講演をしていた。

藤田孝典 on Twitter: "徳島から始まり、広島、愛知、福岡、京都を講演でめぐる4泊5日の旅が終わりました。京都は1日3回講演でした。京都市中引き回しの刑です。全国のみなさん、ありがとうございました(T_T)"

リベラルの定義をしないリベラル批判の批評として、滝季山影一氏のこれが鋭かった。


例文①】 西から昇ったお日様が東に沈む。これがわかってないからリベラルはダメなのだ。 【例文②】 謹んでお受けします。横綱の名を汚さぬよう精進致します。これがわかってないからリベラルはダメなのだ。 【例文③】 すがすがしい朝だね。これがわかってないからリベラルはダメなのだ。

https://twitter.com/ETakiyam/status/825850527976075265

 

 

【例文④】 ぼくはよりユーモアのある方、人を傷つけない方を選びます。これがわかってないからリベラルはバカなのだ。(ユーモアがなくなった) 【例文⑤】 午前8時43分40秒をお知らせします。これがわかってないからリベラルはダメなのだ。(ピッ、ピッ、ピ、ポーン) ムカついたので終

藤田孝典のtwitterでの有機的知識人発言について

 下流老人の著者である、藤田孝典のtwitterでの発言について、私の感じた疑問を書きます。藤田の2017年2月1日の有機的知識人の発言。

「有機的知識人とは、言論界に閉じこもらず、具体的な行動を起こし、様々な組織と連帯しながらアクションを続ける知識人です。日本にはほとんど存在していません。」藤田孝典 on Twitter: "アントニオ・グラムシ「知識人の形成と機能」『知識人と権力』上村忠男編訳、みすず書房、1999年 を参照いただけたらと思います。有機的知識人とは、言論界に閉じこもらず、具体的な行動を起こし、様々な組織と連帯しながらアクションを続ける知識人です。日本にはほとんど存在していません。 https://t.co/HSXrCZxVXy" とあるが、 

グラムシ=獄中からの手紙 (1978年) (合同叢書) を引用しているエドワードサイード著「知識人とはなにか」知識人とは何か (平凡社ライブラリー)840円から、P28、3行目から12行目を引用する。

グラムシの立論によれば、社会のなかで知識人の機能をはたす人間は、おおむねふたつのタイプにわけられる。ひとつは、教師や聖職者や行政管理者といった伝統的知識人。こうした人びとは、何世代にもわたって、同じ仕事をひき継いでいる。いまひとつは、有機的知識人。グラムシによれば有機的知識人は階級なり運動と、それも、知識人を利用して利害を組織化し、権力を手に入れ、支配権の拡張をはかる階級なり運動と直接むすびつく。まただからこそ、グラムシが有機的知識人論のなかで述べているように、「資本主義の企業家は、そのかたわらにはべらせるべく、産業技術者、政治経済専門家、新たな文化編成や新たな法制度の立案者を生み出す」のである。現在、広告代理店や宣伝担当のエキスパートたちは、洗剤会社なり航空会社なりが市場をより多く確保できるよう、さまざまなテクニックをひねりだしているところであり、さしずめ彼らこそ、グラムシの定義による有機的知識人と言えるだろう。民主社会において、潜在的顧客の動向をみぬき、支持を得たり、消費者あるいは有権者の意見を誘導する人間はみな有機的知識人である。

 (P114,4行目)制度的諸機関が、栄枯盛衰をくりかえすにつれて、有機的知識人―アントニオ・グラムシの便利な言葉を使わせてもらおう―もまた、栄枯盛衰をくりかえす。

「有機的知識人」はサイードの解釈によると、私には、竹中平蔵大竹文雄、3.11以降の原発擁護の知識人達と理解したのだが。サイードのグラムシ理解が間違っているか?グラムシを私は読んでいないから。