<試験に絶対出る教育問題>のありきたりな回答

 

 

<試験に絶対出る教育問題>

以下の問題に答えよ。制限時間なし

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1 欧米に日本のような予備校や塾はない。

  なぜ日本ではダブルスクール化が進んでいるのか。

2 社会に出て必要な「法律」も「経済」も教科にないのはなぜか。

3 「受験」と「教育」と「学問」の違いについて述べよ。

4 「受験秀才」とは揶揄か褒め言葉か。その理由も述べよ。

 

 

 

2岩波ジュニア新書で中山茂が2003年に書いた

「大学生になるきみへ 知的空間入門」から自分なりの意見を入れてまとめる 

 

答え

法律も経済学も受験科目でしかなく、困難な現実を変えるために戦う武器、実学ではなかったから。

 

理由を以下に述べる。

中国では皇帝を中心とした天・地・人の調和や秩序のある社会・世界観を尊んだ。ディベート(論争)の西洋的学問方法は起こらなかった。東洋世界は、ナチュラルフィロソフィーを、西洋的近代科学を生み出すことができなかった。

ディベートをしてどちらが正しいかを決めることは

東洋の道徳観に合わなかった。

都市国家と専制主義の違いも大きい。

表音文字(話し言葉)と表意文字(漢字)のコミュニケーションの違いもある。

皇帝の前で気に入らない事を唱えたら、焚書坑儒の文化。

墨子が西洋的価値観に近いことを唱えたが、(wikiによると)すぐ弾圧されたので影響力がなかった。皇帝によるあるべき理想の統治のしかたが儒学者によって語られるようになった。官僚はそれら知識を丸暗記して科挙に臨んだ。

 

中山茂は「日本では、法律学は(実学ではなくて)虚学だよ」と法学部の教授を驚かせる『日本の帝国大学』(中公新書)。法学部の学生は公務員就職試験・資格試験を受けるための受験科目を勉強しているにすぎないと。

 

 せんだって、憲法学者が異を唱えた安保法案改正案が法律的に疑問の残る手続きで可決されたが東アジアの権力者にとって「法理」「経済法則」なんぞいくらでも曲げることができる。欧米からしたら、日本も中国も同じ程度の後進国である。焚書坑儒

 

 

日本の学生はディベート術を知的訓練する機会に乏しい、だから絶対に負ける。中山茂の同級の日本人外交官がこれで悔しい思いをした(西山健彦「OECDに見た西欧文化」サイマル出版)。

id:watto氏の外交官の知的退廃話は、活字にするとやばさが際立っている。日経新聞の夕刊文化人エッセイでなぜ瀋陽脱北者を日本の外交官は救ってやらなかったかがわかる話があの事件の後すぐ載っていた。出世のためには異常なほどお追従をするのであると。あの時の日経はまだ面白かった。

3, は中山茂から内発的動機が「学問」で「受験」も上記の本からの意見で。

「教育」はid:kamayan氏の説で行くならピエール・ブルデューで「文化資本」「ハビトゥス」を。

4, 受験秀才は揶揄のニュアンス侮蔑のニュアンスである。

鶴見俊介は「(自分の父を指して)席次が一番は転向(ころ)ぶよ。」と回想した。

自分の頭で考えた主義主張ではなく、大政翼賛会、軍部の意見に合わせて社会の流れに乗って追従し責任を果たさないエリートのことを指す。

 

鶴見俊介は思想の科学で家元制度は日本にしかない悪制であると書いた。id:kamayan氏の血統主義批判を見て思い出した。池坊保子公明党の議員であった。