岸政彦「断片的なるものの社会学」批判
岸政彦先生を他人様のtwitter上で見て、本とご本人に興味を持ちました。2016年紀伊國屋じんぶん大賞受賞。本の内容と売り方に対して。私は悪を感じた。
1この本の題は社会学とありますが、図書館分類では900番。エッセイです。
2「私たちは」と主語が大きい 私達に私を入れないでください。岡潔の「人間は情緒である」の人間の中には岡潔は入っていない。
3「何々は●●だ」という文に納得できない この命題は偽であると私は答えたくなる。2,3の連続は目が滑る。ウィトゲンシュタインは本が読めない人だった事を連想した。
3弱者見世物小屋としての聞き書き 大阪某案内には阪南の御殿は載らない。なぜ弱者や貧困街はカメラマイクを向けられるのか。
4配慮のなさ 岸先生はInstagramに○○区を歩いたと学生達を載せている。P185,6行目の話、彼が愚かであった事、今も変わらない事を示している。彼はやらかす人だ。
(12/4 以下一部書き換えた)
P185,6行目のエピソードは、彼が愚かであった事を示している。
岸先生はInstagramに○○区を歩いたと学生達を載せている。今も変わっていないという事だ。
5売り方批判 「セカチュー」 「泣きながら一気に読みました」by柴咲コウ。
彼の言葉がもし流通するのであるなら、社会不正義に対して声をあげない事見ているだけである事を肯定することになると思う。彼はそれと戦う社会学者ではない。
相田みつおの詩や326の詩を好む事、池田晶子や永井均の哲学が好きというのと、違う。
「社会学者」の宮台真司東浩紀古市大澤&橋爪、この枠に岸政彦が入った。好きという人には、「やめなよ」と私は言う。老婆心で。「福音館書店で絵本だしてる人にしなよ。」貴方がなぜその人が好きなのか私は知りたいな。他人に介入しない事を優しさとする人に、繊細ぶって踏んでくる人に受ける本なのかなって私は思う。
良いとこ 人見知りの人がやってはいけない事について。p180
連れあいは(略)今でも相当な人見知りなのだが、若いころは他人のことがとても怖くて、無意識のうちにまわりに、特に男性に、近寄ってこないでください、話しかけないでくださいという雰囲気を出していたそうだ。そしてそれがどうなったかというと、そういう空気を察知できるひとは近寄ってこなくなり、かわりに、そういうことがまったくわからない無神経なひとばかり寄ってくるようになった(要はその中の一人が夫と言っている)
自分の能力で、言語化できる範囲で、書いた。
追記:コメント欄に書いた彼の過去ブログのweb archive