文化人類学者(社会学)と差別貧困問題と政治団体

 桜井厚も谷富夫も同和問題にかかわっている。岸政彦と齋藤直子ももちろんのこと。

 私は奈良の人間だ。人権同和教育で、貧しかったという説と、家内制手工業などを生業とし豊かな暮らしをしていたの2つの説が出た。どっちやねん。

 人がきて検分すると税金があがる。農民の直訴状で「不作ですので税を取り立てないでください」というものだけ残っているので農民の暮らしブリはしんどいものだったと思ってしまう。しかし、そういうこと、とある人のブクマで見た。

 宮本常一が、人はほんとうのことを、フィールドワーカーに言わない、税金が人を疑心暗鬼にするといっている。「調査地被害―されるがわのさまざまな迷惑」

調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本

宮本常一著作集 31 旅にまなぶ

フィールドワーカーが来て本当のことを言うか貧しいというか。行政から税金が投入されるかされないか。

 サルトル実存主義からそれを批判するレヴィ­­=ストロースの構造主義。そしてポスト構造主義ブルデューとフランスで新しいものが古いものを批判しながら出てくる。でも彼らに、後継の岸政彦に、新しいものが??SNSでのプライバシー侵害、対象へのものの言い方、傀儡師の名前を言う等、後退しているとしか思えないのだが。

 岸政彦は谷富夫と桜井厚を批判している。

 

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 しかし、私は桜井厚が文化人類学者へのいましめをはなった事は間違っていなかったと思う。その教えを20代の若者が聞いても30年たつとそのしばりを破る。しかし「国内文化人類学」の本・発表はプライバシーの問題から離れることができない。桜井厚も安渓遊地もそれについて苦い思い出がある。

 マサイ族でもスマートフォンをもつ時代。