私の岸政彦先生への批判の源
私は岸政彦先生とその夫人の、聞き書きをして「面白かったはなし」という言葉、に怒りと怖れを感じました。その「態度」は、私の姿そのものでした。
情熱的な精神状態
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自分がすでに犯したか、これから犯そうとしている罪を理由に他人をとがめることによって、われわれは自分に向けられそうなあらゆる非難を無効にする。そして、告発状の常套句に不誠実と不信の特質を付け加える。
第5章 人間
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集団的羞恥といったものがあるかどうかは疑わしい。集団的憤怒はある。他者と連帯するとき、われわれはほとんどつねに自分より強者と組んでいるように感じる、そして、そうした人びとと罪を犯すと、自責の念を感じなくなってしまうのだ。
鶴見俊輔の批判
彼ら知識人が逆コースのときに、レッドパージに、はっきり反対しなかったから、今、日本会議、戦前の右派がここまでのさばっているのじゃないか。まるやままさおをひっぱたきたい。これは第二の敗戦の責任を問う言葉でもあるような。これを言ったひとは言論界の’’コンテンツ’’になりました。
岸政彦先生へ
業界は、いつも新しい蓑田胸気をたてまつる。百田や竹田。最近、長谷川はよってたかっておもちゃにされた。玩具にした連中は罪悪感がないのだろうか。