岸政彦 「街の人生」「同化と他者化」読了
(追記12/5)岸政彦の本「断片的なるものの社会学」の批評をするために、下記の二冊を読んだ。私にはおもしろくない。彼が考えていること、彼にまつわることを通して、自分と世界を知りたいと思う。
「街の人生」
日系南米人のゲイの話で。良いところ。親戚のおじさんの給与明細を集めて、不払いの残業代を代わりに雇用主に請求しに行った。日本人の社長は泣いてやめてくれと懇願したが、きっちり不払い代金は回収した。それから仲間たちから法律に強いと頼りにされるようになった。
「同化と他者化」
沖縄人「米国統治下、日本はどんなとこだろう」「私たちは日本人だ」
「日本に行くぞ~」県外就職へ。
東京・大阪の日本人「沖縄人だろ、サンシンや沖縄踊りやってみてよ」
沖縄人「・・・」沖縄へ帰る。
沖縄人は日本人に会うことで、沖縄人になっていった。
マジョリティは自分がだれで、何者かを語る言葉・必要がない。マイノリティは常にそれを問われる。
例 セックスワーカーは風俗の現場にいることについて、饒舌にしゃべること。しかし男・買春側は「なぜ風俗に来ているのか」について語る言葉をもっていない。
私が思ったこと
の中で、筆者は「取材しに来て」と連絡をくれた人達は、両親の中や親子の関係がぎくしゃくした家庭ばかりであったとしている。家庭が上手くいっている人達は「取材してくれ」「他の家庭がどうなったか知りたい」という必要がないから連絡をくれなかったのであろうと推測している。会ったことの外側にいる人達がいることを人工授精について調べたこの作家は言及している。
沖縄から本州に来てそのまま本州に永住している人たちは、沖縄から南米に移民した人たちは。法則は当てはまるのか。
自分がなぜこの本に納得できないか考えました。自分が納得したい。1文章が学問ではない。抒情的。「沖縄に帰るための旅ではなかったか」。
2「帰納法で出てきた発見は論理としては弱い」からと思いました。しかし、帰納法で書かれた本にも面白くためになり納得できるものがあるのでは。そのような本を私が知らないだけと考えます。
3集合論。沖縄県民=(A氏、B氏、C氏・・・)の中に含まれない部分への言及がないから、論理としては弱いのでは。自分は集合論・要素がわかっていない。いや。私の感覚では「含まれない物」への言及がないと何か怪しい。
開沼博の福島学=(風評被害、福島県沿岸部の故郷喪失者・・・)
4上記のかっこの中に入らない外側は何か。「外部」とは多分マルクス主義的な言葉だ。私はマルクス主義的な言葉・考え方が入っているものに納得するというだけかもしれない。
岸政彦は社会学のシカゴ学派と言っている。wikiでそれを見ていたら要出典で新都市社会学 - Wikipedia というのがあった。自分にはここで書かれていることは納得する。ただそれだけの話なのかもしれない。
5「教養主義の没落」の竹内洋「大衆教育社会のゆくえ」の刈谷剛彦、ブルデュー「結婚戦略ー農村の男達はなぜ結婚できないのか」小倉千加子「結婚の条件」は教育や結婚についての社会学だ。身近に知っていて語れる事について分析している。
戦後の高度成長期に沸く日本列島に沖縄から集団就職した層が最後は帰郷したこと。私に興味がない。面白いとは感じない。知らないから納得できない。それだけのことかもしれない。
6AならBになる 発見されたそれが他の時代や地域に適用できる法則か?
発見された法則性から現代とはなにかや「処方箋」として未来や過去こうすればよかったと書いてある文は私は面白いと思う。
7なぜ本業の社会学の文章もエッセイの内容も薄い岸政彦が文化人として露出していくのか?
佐藤優現象をまねて岸政彦現象と仮に名前をつける。それについて知ることでこの社会を知りたいと思う。